きな粉が香ばしい春の和菓子うぐいす餅。
歴史は古く、元祖の餅はうぐいす色じゃないって知ってました?
うぐいす餅の歴史
1580年代(天正年間)の頃、大和郡山(現在の奈良県大和郡山市)の郡山城主豊臣秀長が、茶会に兄の豊臣秀吉を招いた際に作られた和菓子です。
秀長から「珍菓を造れ」と命を受けた御用菓子司「菊屋治兵衛」が、粒あんを餅で包み、きな粉をまぶした一口大の餅菓子を献上したところ、秀吉がその餅をたいそう気に入り、「以来この餅を鶯餅と名付けよ」と名前を与えました。
うぐいす餅と御城之口餅
時を経て、いつからかうぐいす餅は城之口餅(しろのくちもち)という通称で呼ばれるようになりました。
菊屋が、御城の大門を出て町人街の1軒目にあることから、「城の入り口で売っている餅」ということなのだそうです。現在も同じ場所にお店があるんですよ。
うぐいす餅なのにうぐいす色をしていないのはなぜ?
本物のうぐいすは、茶色っぽい色をしてます。
出典:Wikipedia
うぐいす色と言われているのはメジロ。
出典:Wikipedia
なので、老舗のうぐいす餅は黄色いきな粉色をしています。
でも、黄緑色の方が春っぽいですよね~。
うぐいす餅と安倍川もちの違い
うぐいす餅は、あんこを包んだ餅にきな粉をまぶしていますが、安倍川もちにはあんこが入っていません。